1言ったら10伝わるは嘘。あれは足りない9を◯◯しているのだ。
こんにちは、世界!インビジョンの開発を司るエンジニア、足澤です。
先日、長男が映画を見てきた帰りに、インサイド・ヘッド2のキャラクターのシールをもらってきたみたいなのですが、翌朝、次男(2歳)が「ばんそこー」といって、恥ずかしそうにニコニコしながら乳首にそのシールを貼って見せてきました。で、その貼ってたキャラクターの名前が「ハズカシ」で、やっぱり奇跡ってあるんだなと思いました。
うちの子が「りーんのっ」って言ったら、それは「りんご」のこと。
お子さんがいらっしゃる家庭だと想像しやすいかもしれませんが、2歳くらいの子供でも、自分の子供が話す言葉って、とんでもなく曖昧なのにその親は9割くらい理解できますよね?でも他人の子供だと、せいぜい5割くらいくらいしか理解ができません。更に、自分に子供がいなかった頃って、小さな子供が話している言葉を2、3割くらいしか理解できなかったですよね?
例えば見出しの「りんご」の例。これって、その子が、どんなことを話しそうか、これまでの経験によって予測しているから私にはわかる訳です。
伝えたい内容が高度なら高度なほど、話し手の伝達能力と、聞き手の理解力が必要です。そして、伝達能力と理解力は、どちらか片方が極端に欠落している場合、「伝わらない」が発生します。
ニュアンスがうまく伝わってないとか、やってほしいことが伝わったっぽかったのになぜか全然理解してもらえてなかったとか、仕事上でのあるあるです。逆にこの要望、何を求められているんだろう?って、聞き手になった時に疑問に思うことがあると思います。そんな話し手と聞き手の永遠のテーマに終止符を打ちたい。そんな気持ちでこのコラムを書きます。
伝達能力Lv1の私、ウン百万円溶かす。
私はエンジニアなので、社会人のはじめの数年は、がっつりエンジニアとしての業務のみでしたが、徐々にディレクターとしてプロジェクトに参加することも多くなりました。こんな私もいつしか伝える立場になったんですねー。そんな中、プロジェクトに参加してもらったエンジニアのAさんに指示出しをしてました。現状の機能と問題点、どういうふうに実装してほしいかを資料にざっくりまとめ、Aさんに伝え、記載のない部分は良しなによろ〜。という感じで資料と口頭で説明をしました。
そんな私の説明に、激しく頷くAさん。お、これ伝わったっぽいな。よしよし。前も一緒にプロジェクトやってたし大丈夫だろう。そんな呑気なことを考えながら、数ヶ月後、ウン百万円くらいかけて実装されたそれは、ぱっと見た感じは出来上がっているのですが、細かな挙動や、プログラム的な実装の仕方が、絶妙に色々そうじゃない感満載の仕様で出来上がりました。確かに動くけど、多分この挙動って、ユーザーさん混乱しない?とか保守性のしにくさなどから、半分くらい私が作り直すことに。自分がエンジニアで助かった…じゃない、これは私の伝え方に問題があったんだよ!泣いたぜ。
結構伝わってたっぽかったのに、一体何がダメだったんでしょうか。
実は、”良しなによろ〜”と言いつつ、私の中にはこうなってて欲しいというイメージがある程度あったんです。でもそうなっていなかった、もしくはそれを超えてこなかったわけです。過去にも一緒にプロジェクトやったことある人だから、多分大丈夫だろうと思っていましたが、私の考え方や、どうしてこの方法に至ったのかまでは伝わっていませんでした。結果として実現方法にも微妙なズレが多発してしまったようです。
逆にうまく伝わる人たちは、伝わったというよりも、私の伝えたいことを、自分の持っている知見とくっつけて連想してくれる人たちが多いです。その場合、私の持っていない知見とくっつけることで、私の想像を超えてくることがあります。つまりそもそも知ってたから、連想もしやすいのです。
点と点を結んであんな複雑な星座を連想するの不可能だろ。
ちょっと脱線しますが、こちらをご覧ください。
みなさんも、感じているでしょう。星の数少なさに対して、星座の絵の複雑さにギャップありすぎだろと。それと同様に、何かを人に伝える時、我々の頭の中には完成された絵があり、それを目的、背景、手法などの情報だけ伝えて、私の想像している絵を細部まで伝えるなんて無理なのです。まさに星座のそれ。
例えば、会社や部署の方針などを上司の人から「自分ごととして捕らえろ」とか、「自分の言葉で説明できるようにして」と言われたこと、もしくは言ったことあると思います。その方針にたどり着くまでに、その上司は、なにか書籍を参考にしたり、自分の経験をもとに色々試行錯誤してたどり着いた結果なんです。どういう情報をもとに、どうしてそう思ったのか、今の会社になぜこれが最適だと判断したのか、そういった情報はすべてすっ飛ばして、目的、背景、手法をお伝えしてしまっています。
一般的には、目的、背景、手法を伝えれば、点じゃなくて、線だと言われますが、連想できない人からすると、それでも点でしかないのです。このように、話し手側ではこうして欲しいという完成イメージが先にできてしまっているものを相手に伝える場合、点の情報だけで「自分の言葉で説明できるようにして」は不可能です。だってすでに完成されたベストな言葉で説明されているので、言い換えると情報が劣化するだけなんですもん。
では、なかなか伝わらない人にどうやって伝えたらいいんだろうと悩んだ結果、どうしても伝わらないとき、私は伝えるのを諦めます。その代わり、今起きている事象の認識を合わせたうえで、なぜこれを問題と思ったのか、ゴールはなにか、どういう方法で解決するかを、本人が導き出せるように誘導します。そのためには、その考えに至るために必要なドメイン知識や、参考にした情報、私の経験、思考の癖を共有して、私ならどうやって解決に持っていくだろうか?を相手の脳内に組み立ててもらいます。タイマンでのやり取りが必須ですし、めちゃくちゃ労力かかります。でも、こうやって一緒にゴールに到達した場合、自分の言葉で説明できます。
これやる度に、その人に足りないドメイン知識を補充していけるので、私が伝えたいことを連想するための素材が増えていき、どんどん伝わりやすくなっていきます。自分の思考の仕方も一緒に伝わるので、上司ならこう考えるはず、だから私ならこんなチョイ足しするという、新たなアイディアの芽も生まれるという嬉しい副産物もあります。これこそ、良き理解者だと思っています。
伝えるより、一緒に到達する。
ということで、タイトルの伏せ字を回収しますと、「1言ったら10伝わるは嘘。あれは足りない9を『連想』しているのだ。」です。が、勝手に連想してくれる人は稀なので、どうしても伝えねばならぬことは、共創の道を模索してみましょう!これを毎回やるのはしんどいですが、本当に伝えたいことのときには、これくらいの伝える努力はしたいし、努力を惜しみたくないメンバーと働きたいですね!
他人の頭の中を覗くのは無理ですが、どうしてもという方は、インサイド・ヘッドを御覧ください。
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